美容学生の頃はカラー剤に触れたことすらなかった
――まず、美容師にはいつ頃なろうと思われたんですか?
高2ぐらいですね。進路指導でどうしようかなと思って。ずっとサッカーをやっていて、途中まではプロサッカー選手が夢だったんです。けど、まあいろいろ現実を見るじゃないですか。それでどうしようかなってなった時に、好きなことを仕事にしたいなって思ったんです。もともと母親が美に対して敏感だったので、その影響で一緒に美容室に行ったり自分の髪をセルフで染めたりするのは好きでした。
――専門学校はどちらに行かれたんですか?
渋谷にある『住田美容専門学校』ってところです。ただ、本当に国家試験に忠実に進める感じだったので、当時はそれこそカラー剤に触れたこともなかったです。
――そうだったんですね!? 就職はTONI&GUYさんに行かれたそうで。
はい。高校時代も英語の授業が好きだったりとか、海外にすごい興味がある人間だったんです。なので海外との架け橋になるような仕事がしたいという壮大な夢がありました。…ってなった時に、そこから逆算して一番可能性があるのは、やっぱりTONI&GUYだなって。そっからもう爆速です。一点集中で。
突如始まったカラーリストへの道
――無事就職が決まってキャリアをスタートされて、初めはスタイリストになる前提でのカリキュラムだったんですよね?
最初はそうですね。僕が入社した年に完全分業が始まったんですよ。だからアシスタントからカラーリストになったって人は1人もいなくて。入社して1か月後くらいですかね、研修期間中に「カラーリストつくりたい」って言われました。
――そのときはどう思われたんですか?
「え、カラーリスト…?」って思いましたね。カラーとか全然興味なかったので。でもそのとき、色んなことで実習があって、シャンプー合格も遅いし、学生時代に頑張ってたワインディングも全然通用しないし…みたいな。「あ、いかん。これ美容師に向いてない」っていうところにそういう話が来て。競争相手少ないっていうのと、今の状況を打開したいというので決めました。
苦しかった道のり。それでも続けてこられた理由
――突如始まったカラーリストという道ですが、振り返ってみていかがですか?
いやー、もう一言でいうと、本当に苦しかったです。辛いことの方が多かったと思います。前例が本当になかったので。今でも自分でセンスがあるなんて思えないですよ、基本的に。なのでもう本当に、やめなかっただけです。やっぱりその選択が間違いだったかもしれないって思いたくないじゃないですか。だから、正解と言えるようにやめなかっただけ。よかったと思えるまで続けただけです。
なんでやめなくて耐えられたんですか?っていう最大の理由は、家族ですね。もうそれだけです。22歳で結婚して23歳で親になって、“やらない”っていうボタンがなくなったんで。 早くに、そういうモチベーション云々かんぬんの状態じゃなくなりましたね。
――やらない理由がなくなったんですね。
そうそう。道を変えようとかじゃなくて、どう乗り越えるかって選択肢しかないから。まあなんかその、本当に当時の給料とかでいうと全然足りなかったですけどね。ただ、ブローもカットも全部すっ飛ばして1年10カ月ぐらいでデビューしたんで、その年に入籍したんです。
でも休みは毎日練習しましたね。1日に4人ぐらいモデル入れて、もう毎日やり込みました。まあ、当時同期で公休日が違った奥さんに会いに行きたかったってのもあるんですけど(笑)。
――えーかわいい(笑)。岩屋さん今でもすごく愛妻家という印象です。
家族は“全て”
引用元:岩屋さんInstagram
――奥さまのお話も出たところで、岩屋さんにとって家族ってなんですか?
家族は“全て”ですね~。生きる理由。逆に言うと死ねない理由。どんな功績を残しても、家族がハッピーじゃなかったら、妻が笑っていなかったら何の意味もない。だから別に社会的に成功じゃなかったとしても、妻が笑ってればいいです(笑)。
――めちゃくちゃ素敵です…!奥さまの幸せが一番なんですね。
はい。妻と僕の関係性がいいのが家族にとって一番いいと思います。それが一番の子育てだと思うし。だから、「妻に笑ってもらえる状態でいる」。これがすべての軸。よく「ハッピーワイフ・ハッピーライフ」って言ってるんですけど、これ、昔アメリカ人のお客様から教えてもらって。あ、そういう言葉があるんだ!と思って、そこから座右の銘です(笑)。
――なるほど!奥様が幸せであれば。
人生は上手くいく!これ世界共通です(笑)。
岩屋カラーのポイントは「髪の毛から離れる」
――岩屋さんのカラーって岩屋さんにしか出せない色があると思うんです。どこからインスピレーションを受けているんですか?
“髪の毛から離れる”っていうのが一番のポイントですね。色って髪の毛だけじゃないんですよ。あらゆる色彩が無限にあるので。例えば、このあいだセミナー前にサウナへ行ったんですけど、上が木目の天井だったんです。「これいいな」と思って。木目って色んな茶色があるじゃないですか。これって、もう複雑履歴がガイドやんって。
――あーたしかに!
だから木目調みたいに、別にベースを揃える必要もないし、ムラを活かせる。そうすれば髪の毛守れるし。「Think bigger(大きく考えろ)」っていうんですけど、そういう感じでとにかくひろーく考えるようにしています。
引用元:岩屋さんInstagram
――そうなんですね。技術の面でもすごく細やかで丁寧なお仕事をされている印象です。
“気質”だと思います。なんかその…なんでそうなったんすかね(笑)。でも妥協したくないというのが一番ですね。パーフェクトに近いものを分かっていながらそれをやらないっていうのが、やっぱり性格的にあんまり受け入れられないというか。カラーに関してはね。それ以外はまじでポンコツなんですけど(笑)。でもお客様もキレイにしてもらってイヤな気持ちには絶対ならないと思いますし。
これからのNOOS、日本をベースに海外へも
――NOOSをオープンされて1年ちょっと経ちましたが、今後の展望はありますか?
近々チャイナ店を出店するので、基本的にはやっぱり市場開拓ですね。ただ、日本をなくすとかそんなんではなくて。日本はベースとして発展させていくつもりですけど、まあリアルな話、日本の美容室市場っていうのはもうアッパーがあるから。だからやっぱり市場を変えていくしかないなと思っています。もともとそういうプランニングで始めた事業でしたし。
不確定要素はめちゃめちゃ多いですよ。海外絡んでくるし、思い通りに行かない可能性も高いし、ギャンブル的なところももちろんあります。トニガイを出ようと思ったときもゼロイチでスタートしているので、平坦な道じゃないのは分かっています。だからこそ、それを1人で抱えるのはちょっとな…と思ったので、妻と、専門学生時代から付き合いがあってTONI&GUYでも同僚だった中込と、所属していたフットサルチームで親しかった根本に「一緒にやろう」って(笑)。一人ではできないこともチームで挑戦したいと思っています。
「日本の美容師は世界で通用する」その可能性を示していきたい
――海外進出に際して伝えたい想いはありますか?
日本の美容師は、もっと自信を持つべきだと思います。間違いなく技術的には通用するんです。自分も海外でちょっと仕事させて頂いて、海外の同じカラーリストとかそういう人たちと比べて、絶対に通用すると思っています。
だって向こうの方が簡単なんですもん、ブリーチとか。それでワールドクラスとかいってんじゃねぇよ!黒い画用紙からスタートしてみい!って話ですし(笑)。でも日本人はそれを知らないから。当たり前に黒いところからやって、向こうの人の方がすごいってイメージがあるじゃないですか。そりゃそうだよ、簡単な条件でやってんだもん!って(笑)。
――そうですよね、海外は良いベースが(笑)。
そうそう。でもそういうのを知らないっていうのがまず多いのと、あとはもう気質。日本人の気質で、やっぱり結構引いてしまったりそういうのが美徳とされてしまったり、すぐ質問できなかったり。そこがワールドクラスになりきれない理由だと思うんです。だからあとはもう自信だけじゃないですか?
ただ、日本で有名でも向こうに行ったら「だれ?何ができるのあなたは?」って話にはなるんですよ。だから僕も前線を開拓する一人になりたいと考えています。通用するかどうかは分からないですけど、でもそこを開拓していける人間はやっぱり限られていると思うんです。そういう立ち位置を与えていただいていて、そういう役割じゃないとダメだなって自覚はもちろんあるから。 そういう、「日本人の美容師って通用するんだ」っていう可能性を、いち日本の美容師として示していきたいです。
――そこを先人切って創りに行くんだっていうことですね。
そうです。日本という島の美容師という世界って、すごい狭いんですよね。このままだと本当に狭い世界のままになってしまうと思います。そもそも美容師の人口も減っていますし。なんか日本のSNSだけの世界でみんな同じような投稿をしている。それってすごくもったいないので、ちょっと広げていかなきゃいけないなぁって。
もちろん、身近なところでやっていく人と両方いていいと思うんですよね。まあ自分たちも今までそうだったし。例えば、今20代の若い美容師さんたちがいっぱい表に出られる環境があると思うので、スポットライトを当てるのはそういう若い美容師さんでいいと思うんですよ。
僕らみたいなおじさんたちは、経験を積んできたからこそできる役割があるから。海外で通用するという自信があるのもそういう経験からですし。そういうのがまあ自分たちみたいな人間の役割かなとは思いますね。
最初は質より量。いま後輩たちに伝えておきたいこと
――そんな岩屋さんが、後輩たちに伝えておきたいことはありますか?
そうですねぇ。人生は有限だと思うので、今大切にするべきことをちゃんと大切にした方がいいと思います。
――本質的な部分を見失ってしまうことってありますよね。
そうですね。 結局1人でできることって限界があるんですよ。僕はこういう仕事をしていて、一番の財産は本当に“人とのつながり”だと思っています。若い頃って、自分でいけるとか全部自分の力だと思ってしまうと思うんですけど、 今となっては人とのつながりを大切にした方がいいなって思いますね。
というか、大切にするべき人を大切にした方がいい。パートナーだったり自分のことを支持してくれる人、応援してくれる人っていうのを大切にした方がいい。逆に、自分のことを嫌な気持ちにさせてくる人を大切にする必要は僕はないと思っています。ドライな言い方かもしれないですけど。そこに割く労力・時間があるんだったら、大切にしてくれる人に割いた方がいいと思います。それがまず一つかな。
もう一つは、とにかくやっぱり打席に立った方がいい。打席に立たない限りボールを受けることはないので。最初はやっぱり量で、そこから質が自然と生まれてくるんです。今は質のいい物がいっぱい見れるので、やっぱり最初から質を求めてしまう。それで量が伴ってないっていうケースも多いんです。でもカラーとかそういう技術は、やっぱり量。これは絶対必要です。最後は自分で感じて体感してっていうのが結局データになります。
大切なものを優先できる業界にしたい
――周囲の人や日々の練習など、当たり前のものこそ大切に、ということですね。
やっぱり後悔したくないのが大きいですね。もっと大切にすればよかったとか、そういうので後悔したくない。どうしても失ってから気づくじゃないですか、人間って。でも、今あるものにそもそも感謝したいなって。当たり前の存在のほどね。
…っていう気持ちを忘れずに生きていたほうが幸せかな。日々の幸せに気づける人間でいたいんです。別にこれ以上の幸せを求めてないし、これ以上お金もちになるとか、そんなの全然どうでもよくて。普通に毎日暮らす。で、毎日「今ハッピーだね」っていう状態を共有できるのが一番です。これは全部妻が教えてくれたんですけどね。
――素敵です…!でもそれってなかなか難しいですよね。
難しいですね。人間って欲深い生き物なんで。でも末っ子は、みんなでご飯食べたりとかしたときに「みんなで食べると美味しいね」って言うんですよ。「ほんまそうやわぁ」みたいな(笑)。その時間のために生きてるのに、それを犠牲にしがちというか。僕も上の2人の子育ては妻にほとんど任せてしまって…。いまだに言われますけど(笑)。
――ただ4人目のお子さんが生まれたら育休に入られるそうですね。
これからは育休もその一環ですよね。家族を最優先にすることができなかったからこそ、逆に家族を優先するとどれぐらいエラーが起こるのかなっていうのも効果測定したい。家族を優先できる業界にしたいんです。家族というか、大切なものを。だって仕事なんて生きるための手段だから。
もちろん仕事を一番大切にしてもいいと思うんです。だけど、一番大切にする“べき”ものであってはダメだと考えています。まず人が先でないと。今までそれができない業界だったから、まあ多少なりともキャリアを積んで、本当に多少なりとも皆さんの力を借りながら発信が届く位置にいさせてもらえてる身としては、やっぱりそういうところが自分の役割かなと思っています。
プロフィール
岩屋 真(いわや まこと)
NOOS|代表
ハサミを持たないヘアカラー専門美容師。住田美容専門学校卒業後、「TONI&GUY」に就職。17年の勤務を経て2022年4月に「NOOS」をオープン。カラーを極めた“超特化型”プレイヤーで、フォイルワークからデザインカラーまで、カラーの全てにこだわりを持っている。サロンワークを原点として国内外で活躍し、業界誌掲載も多数。現在はNOOSの海外進出に向け準備を進めている。
Instagram:@makoto_noos
いかがでしたか??
今回はカラーリストの巨匠、NOOSの岩屋真さんにインタビューさせていただきました!
美容師として、美容業界として、人間として、大切なことはなんだろう?そう考えさせられるインタビューでした。
ご家族とのエピソードにも心が温まりましたね😊
BTアンバサダーとしてご協力くださっているほか、海外進出に向けても動き出されている岩屋さん。来年にはBTとのイベントも…?今後のご活躍にも注目です!👀